国語の得意、不得意はなぜ起きるのか?
いつの時代にも国語の得意な子と不得意な子はいます。しかし、最近はその不得意の度合いが以前に比べ、かなり低下しているのではないかと感じています。つまり、昔の不得意の子の方がもっと国語ができたということです。
では、どうしてこのようなことが起きてしまったのでしょうか。その原因について、今回は家庭環境から考えてみたいと思います。
家庭での活字離れ
家庭環境から見た場合、家庭での読書量が減って活字離れが進んでいることが指摘できます。これは子どもだけに限ったことではありません。むしろ、保護者の方の読書量が減り、活字離れが進んでいることの方が直接的に子どもに影響を及ぼしているのではないかと思います。
子どもは、読書が好きであれば国語も得意です。つまり読書を通して活字に慣れ親しんでいるため、文章を読むことはもちろん、漢字も自然と覚えていきます。
このような子どもも読書を始めたきっかけがあります。そして、そのきっかけの多くが家庭においてもたらされるものなのです。保護者の方が読書好きであれば自然と子どもも活字に慣れ親しんでいきます。しかし、反対の場合ではどうでしょうか。たぶん、親が子どもにいくら読書をするように言っても、子どもは関心を示さないでしょう。つまり、子どもは親が楽しそうに、また、真剣に本を読んでいる大人の姿を見ることによってはじめて読書に関心を持つようになると言っても過言ではないのです。
いま、読書は勉強の一部と考えている子どもが多くいます。ここで保護者の方にご自身の読書の習慣を振り返っていただきたいのです。お子さんの前で本を読んでいる姿を見せたことがありますか。ご両親が読書好きで本に囲まれた環境に育った子どもは自然と本を読むようになるでしょう。それとは反対に、まったく読書という習慣のない家庭で育った子どもはいくら読書をするように言われても、読書に何の興味も関心ももたないのは自然の理でしょう。
子どもに読書は楽しむものということを教える場所は家庭こそがふさわしいのです。大人が読書を楽しんでいる姿を小さいころから見て育った子どもは、読書という行為に違和感をもたずに(勉強とは思わずに)、自然と親しんでいきます。言い換えれば、そのころから子どもは読む力を少しずつ身につけているのです。
しかし、これはあくまでも理想論じゃないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。次回は国語が得意になる抜け道についてお話しします。