国語辞典を使ってますか
国語の辞典と言えば、主としてことばの意味を調べる国語辞典と漢字を調べる漢和辞典がありますが、小学校の段階では国語辞典が漢和辞典の役割も担っていると言っていいでしょう。つまり、国語辞典が十分に使いこなせれば、漢和辞典はあまり必要とは思いません。では、その国語辞典をいつ頃から使い始めたらよいのかということになります。わたしは早ければ早いほどよいと思っています。小学校に入学して、子どもは日々いろいろとわからないことばや漢字に出会います。そのとき、子どもは周りにいる大人に尋ねてくるでしょう。そのさい、大人がすぐにその質問に答えるのではなく、子どもと一緒にまず国語辞典で調べてみることをお勧めします。国語辞典は必ず小学生用のものをお使いください。漢字にはふりがなもふってあり、大人が少し説明してあげれば、小学校の低学年の子どもでも十分理解できるはずです。
最初はなかなか目的のことばや漢字が探し当てられないかもしれません。そういうときは、少しヒントを与えて、あくまでも自分の力で見つけさせてください。そして、目的のことばや漢字が探せたら、その項目を一緒に読むようにしてください。わからない漢字を調べるときなど、見出しの漢字だけを見てそれ以外は読もうとしないお子さんが実に多いのです。それでは漢字の意味もわからず、ただ写しているだけになってしまいます。
国語辞典に限らず、辞典とは読むものであるという習慣を小さいときから身につける必要があると思います。そして、これは図鑑や百科事典などにもあてはまります。最初は写真や絵だけを見ていても、そこに解説が書かれているならば、一緒に読んであげてください。こういった日常のちょっとした習慣から、子どもは自然と国語力を身につけていきます。
文章を書く習慣
公立中高一貫校や公立高校の入試にはもはや作文の出題は欠かせないものになってきているようです。たとえば、東京都や千葉県の公立高校入試では二百字程度の作文が国語の試験問題の一部として出題されます。千葉県の場合は、一般入試の国語以外にも特色化入試(自己推薦入試)において、その「志願理由書」を書く段階から作文の力が試されるのが現状です。そして、受験する高校によっては一日に作文と小論文のように二度にわたって文章を書かせることもあります。
このような入試の状況に対して、いまの子どもは、以前に比べて文章を書く機会が極端に減ったように感じます。いま、小中学校での作文の授業時間はどのくらい確保されているでしょうか。小学校はまだしも、中学校ではほとんどないのではと思います。それに加え、携帯メールを小学校の時から利用する子どもが増えています。メールと言っても絵文字を多用するわけですから、文章を書いているとは言えません。また、小中学生の読書量も減って活字離れが進んでいます(このことは次回のコラムでお話しします)。その結果、子どもに文章を書かせても、短い文を羅列して、それを「そして」や「しかし」でつなげているだけという場合が少なくありません。また、何を書いたらいいかわからないと言って、書くこと自体を面倒だといやがる子どもも増えています。これでは入試で出題されるような意見や批判を書いたりする論理的な文章を書くことは、塾などでよほどの練習をしなければ望みようもありません。
文章を書く力は一朝一夕には身につけることはできません。日頃から、文章を書く習慣があってこそ、文章力は身についてくるものです。わたしの経験でも小学生の頃から日記を書く習慣のあった中学生は作文を苦もなくこなしていました。国語教育のなかで作文にさかれる時間がもっとあって当然と思いますが、時間数の削減もあって、実際には文章読解にその多くの時間がさかれています。今後もこの傾向は変わるとは思えませんので、ご家庭において、小さい頃から日記、学習日記や手紙などで文章を書くことが習慣となるような工夫していただきたいと思います。
大人が示す読書の習慣
これはいまに始まったことではありませんが、小中学生の読書量が減って活字離れが進んでいます。その結果、子どもの読解力はもとより、作文力までもが低下しています。
読書と作文、つまり読む力と書く力とは表裏の関係にあります。文章を書く最初の一歩はまねることです。身近にある文章をまねて自分でも文章を書いてみる。その文章に使われいる表現を自分も使ってみる。また、自分が書いた文章を読み直して、文章におかしなところはないか、誤字脱字はないかを確認する。こうした書く力を身につけるには、まず読書の習慣をもち、読む力を身につけることが必要であることは言うまでもありません。
しかし、子どもは確実に本を読まなくなっています。大学生でも四年間で一度も大学の図書館に入ったことのない学生さえいるぐらいです。このような学生は例外としても、小中学生にとっては、周りに楽しいもの、興味を引くものがたくさんある現在の環境では、活字離れは必然的な流れなのかもしれません。保護者の方は読書をするように口を酸っぱくしておっしゃるかもしれませんが、お子さんは聞く耳持たずで、いっこうに本を読もうとしないのが現実ではないでしょうか。
読書は勉強だと考えている子どもが実に多いように思います。ここで保護者の方にご自身の読書の習慣を振り返っていただきたいのです。とくにお子さんが幼稚園、小学校低・中学年のころです。そのころご両親は読書をしていましたか。より正確に言えば、読書をしている姿をお子さんに見せていましたか。ご両親が読書好きで本に囲まれた環境に育った子どもは自然と本を読むようになるものです。それとは反対に、まったく読書という習慣のない家庭で育った子どもはいくら読書をするように言われても、読書に何の興味も関心ももたないでしょう。
子どもに読書は楽しむものということを教える場所は家庭こそがふさわしいと思います。大人が読書を楽しんでいる姿を小さいころから見て育った子どもは、読書という行為に違和感をもたずに(勉強とは思わずに)、自然と親しんでいきます。言い換えれば、そのころから子どもは読む力を少しずつ身につけているのです。そして、その読む力はこれからさまざまな勉強をしていく上で大切な土台となるのです。
最後に
いままで国語の勉強法をお話してきましたが、保護者の方にとってそれは別段真新しいことではないとの印象をお持ちではないでしょうか。実際、国語の勉強法とはいつの時代にも変わりはないのです。義務教育においてはこれは国語に限らず、他の教科にもあてはまることのように思えます。ここ何年か世間をにぎわす「百ます計算」もそろばん塾に子供たちがこぞって通っていた三十年から四十年前には「ねがいましては」という形で行われていたのです。その当時のそろばん塾ではそろばんを片手に計算問題の解答時間を競ったものです。つまり、「百ます計算」はそのようなものを現代にあわせてリニューアルしたものと言ってよいのではないでしょうか。教科書の音読や早寝早起きも、そして、朝ごはんもです。ほんの三十年ぐらい前にはごく当たり前のこととしてどの家庭でも行われていたことだと思います。
現代の教育の問題点は、この当たり前であった教育が当たり前でなくなったことにあるように思えます。はるか昔、江戸時代の頃から日本の教育は「読み・書き・そろばん」と言われています。これは今の時代でも変わりはありません。義務教育、とくに小学校においてこの「読み・書き・そろばん」をしっかりと身につけることが肝心なのです。そして、この「読み・書き・そろばん」は中学校以降の勉強の基礎であることは言うまでもありません。数学の文章題や証明も、英語の長文読解もこれらの基礎学力がなければ必ずつまずきます。「読み・書き」に限って言えば、国語力の弱い子は英語の長文読解や数学の証明問題で必ずつまずきます。なぜなら、それは日本語で考えるからです。英語の読解も数学の証明も日本語で文脈を取ったり論証したりするのです。これは国語力以外の何ものでありません。
本コラムは国語の勉強法について、忘れられがちな点についてお話してきました。保護者の方にとっては、どれもが一度は経験のある勉強法だと思います。だからこそ、家庭学習では保護者の方こそ、先生にふさわしいのです。毎日、二十分、三十分といったわずかの時間だけでも、一年を通せばその効果は計り知れないものがあるのです。
国語ってどうやって勉強するの? 国語の基本的な勉強のしかた1
国語ってどうやって勉強するの? 国語の基本的な勉強のしかた2