言葉のきまり、国語文法の学習法1の続きの記事です。
文節について
前回はことばの単位についてお話ししましたが、今回はとくに文節を取り上げてもう
少し詳しく説明します。
主語、述語などの文の成分とは文節のはたらきを示す名前です。ことばのきまりでは、
最初に文の成分を学習しますので、まずここで正確に文節に区切れるようになることが
大切です。
文節に区切るさいには、ふつう「ネ」を入れて区切っていきます。そのさい、まぎら
わしい単語があります。まず、「そうだ」「らしい」「ようだ」です。
彼は/帰るらしい。
彼は/帰るようだ。
「そうだ」「らしい」「ようだ」は助動詞ですので、単独では文節を作れず、必ず上
のことばに付いて文節となります。このように単独では文節を作れない単語を付属語と
言います。また、単独で文節を作れる単語を自立語と言います。なお、自立語、付属語
についてはほかの機会にお話しします。
つぎに「思い出す」「書き直す」「取り返す」などの複合語です。
手紙を/書き直す。
取られた/点を/取り返す。
複合語とはふたつのことばが合わさってできたことばですが、元の意味とは別の意味
を表すことから、一単語として扱います。つまり、単独で文節を作れる単語ということ
です。
また、「読んでいる」「書いてみる」などの「いる」「みる」は補助語として単独で
文節を作ります。補助語は実質的な意味が薄れ、ひらがなで書かれます。なお、補助語
についてはほかの機会にお話しします。
宿題の/感想文を/書いて/みる。
文節の区切りは繰り返し練習することで身につきます。
国文法の曖昧さについて
ことばのきまりについて説明する前にお話しておかなければならないことがあります。
それは国文法といわれる現代日本語文法の考え方はひとつだけではないという「曖昧さ」
についてです。現代日本語文法においては「四大文法」と呼ばれる山田文法、松下文法、
橋本文法、時枝文法が重要な位置を占めています。そして、学校教育では、これらのな
かの橋本文法が基盤となり、改善を加えながら、現在に至っています。これを学校文法
と呼んでいます。
ふつう、中学校などで国文法を学習するさいには、これらの事情から影響を受けるこ
とはほとんどありません。より正確な言い方をすれば、影響を受けるほど、現在の国語
教育では国文法を詳しく教えていないのです。しかし、教科書から離れ、国語辞書や国
文法の参考書を利用して勉強しようとすると、その記述に戸惑うこともあると思います。
その有名な例として形容動詞があります。
学校文法では、形容動詞は動詞、形容詞とともに用言のひとつとして、つまり単一の
品詞として扱われています。しかし、四大文法のうち、松下文法や時枝文法は形容動詞
を独立の品詞として認めていません。これは形容動詞を名詞に断定の助動詞「だ」が接
続したものとみなすことがおもな理由です。ここまでは国文法学者の議論であって、直
接的には学校教育に関わってきませんが、このような考え方にもとづいた国語辞書があ
るとなると、事情は少し違ってきます。そして、その国語辞書が『広辞苑』となるとな
おさらです。昨年第6版が出版され、マスコミでも話題になりましたが、『広辞苑』(
第5版)の凡例にある「品詞略語表」には形容動詞はありません。
このことはもとより『広辞苑』の辞書としての価値を損なうものではありません。た
だ、利用者はそのような立場(考え方)があるということを知っておいていただき
たいと思います。
また、連体修飾語の扱い方も教科書や参考書により若干の揺れが見られます。ひとつ
の例として中学校の教科書をあげてみましょう。光村図書『中学校国語1年』では、文
の成分を学習するさい、修飾語を連体修飾語、連用修飾語というようにふたつに分ける
ことはしません。しかし、ほかの教科書では修飾語を連体修飾語と連用修飾語とに分け
て学習します。これは連体修飾語を文の成分として認めるかどうかの議論にもとづくも
のです。つまり、光村は、連体修飾語は修飾語という(最終的な文の)成分にはならな
い(文の成分としての修飾語は連用修飾語である)という立場に立っているのです。(
なお、光村の教科書では2年のとき、連体詞との関連で連体修飾語ということばを用い
ます。)
このことは学習参考書にも見られます。たとえば、『くわしい国文法 中学1〜3年』
(文英堂)も同じ立場に立っています。
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今回はややこしい話題になってしまいましたが、現代日本語文法はひとつでないこと、
そのため国語辞書や教科書、学習参考書にも記述の相違が生じてしまうことをあらかじ
め理解しておいてください。
ことばのきまりの練習問題はこちらでダウンロードできます